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社会について語るときに一般的に言えることですけど、個人についてこうやった方がいいよってことと、社会全体がこうなるってことは絶対混同してはいけないんですよ。どういうことかというと、例えば価値評価経済になったとしても、勝てる人はいいっていう話なんですよね。例えば自己啓発本の基本的なパターンは、オレ勝てたらからお前らも勝てよっていう話なんですよ。でも全員勝ったら価値がなくなるわけですからね。

だから自己啓発本の基本的な構造は、個人の成功体験と社会の成功体験を混ぜるっていうことによって成立するわけで。結局、価値、評価で勝てる人っていうのはいるでしょうけど、全員がそれで勝てるわけではないんですよ。当然のことながら自分を切り売りして一生なんとかやっていける人っていうのは非常に少ないわけですね。それは単に能力の問題だけじゃないですよ。例えばたまたまある人生で、あるビッグウェーブに乗ったんで、大して能力が無いんだけどカリスマ性がついちゃったっていう人もいっぱいいるはずです。

僕だってそうかもしれない。とにかく重要なのは少ないということです。希少財によって成立しているんですカリスマは。つまり希少じゃなくなったらカリスマじゃないんですよ。価値っていうのは希少だから成立するから、みんなが価値経済で上手くいくことはない。価値の定義上。

だからそういう点で価値評価経済がきたとしても、自分の中で個人の価値で生き残っていけない人たちをどういう風にメンテナンスするかっていう問題があって、実はそれこそが社会保障とか公共性の問題なので、社会保障や公共性が失われてしまった今、個人の価値でがんばりましょうっていうのは、ほとんど語義矛盾に近い、僕の認識からすると、という感じ。

東浩紀×家入一真×イケダハヤト対談 ソーシャルで”個人”は食っていけるのか? – 評価経済時代の個を考える | logmi [ログミー] (via yaruo)
Googleが発表している記事をよく読んでみると、「がんばっています」としか言っていません。よく読むと、どこにも「これができました」とは書いておらず、マーケティング用のイメージビデオなどを元に勝手に見た人が勘違いしているだけでGoogleは嘘はついていません。例えば「自動運転車が何キロ走行しました」とは書いてありますが、そのうちどれぐらいが自動の運転だったのかは書いていないし、「自動運転車は何年後に道路を走ります」と発表する時はそれが「Google敷地内の道なのか、一般道なのか」とかは決して言いません。上空から道を画像解析しているような動画とかを見ても、Googleは「こういう解析をできる」と言っているわけではなく、「取り組んでいる」としか言わないので、記事を読むと情報操作の巧妙さが勉強になります。
愛の日記 @ Drivemode | シリコンバレーの車とITについてよく聞かれる話 (via otsune)

高校のとき、駅前で制服でタバコを吸っていたら、父親くらいの男が寄ってきて、
「高校生のくせにタバコなんか吸うんじゃない」と説教してきた。うざいのでシカト
してたら、「人は些細なことから道を踏み外していくんだぞ」と言う。今とは違い、
当時、人前で、しかも制服でタバコを吸ってる奴はほとんどいなくて、実際、俺も
ちょっと道を外し掛けていた。

「うるせーな、ほっとけよ」と言うと、とつぜん、その男が俺のタバコを取り上げて
自分で吸い始めた。「何すんだよ」と言おうとしたら、「そうか。お袋さんも元気か」
などと陽気に話始めた。その直後、俺の死角だった路地からパトロール中の
警官が2人出てきた。

「ここは禁煙ですよ」と注意されると、その男は、「あ、すみません」と言って
タバコを捨て、踏み消した。「こんなところに捨てないでください」とまた叱られると、
ポケットからティッシュを出して、吸い殻を包み、「じゃあ、またな」と俺に言って
どこかへ行ってしまった。去ってゆく背中が咳き込んでいた。普段はタバコなんて
吸わない男なんだろう。

それからも別に素行や生活に変わりはなかったが、道は踏み外さずに、何とか
社会人になれた。

人の親になった今、あのときのことをたまに思い出すと、何だかちょっと切なくなる。

おせっかいな男 - コピペ運動会 (via joodle)

(出典: gkojax)

紙とネットの違いとして「ネットはいつでも更新できるから、間違った情報が公開されてもすぐ修正できる」と言われてたけど、実際はそもそも間違いを認めず、気に入らなければ工作員扱いし、情報はいつまでも訂正されず、都合が悪いと消され、ボタンひとつでデマが拡散できるようになり、今日に至る。
Twitter / @RPM: 紙とネットの違いとして「ネットはいつでも更新できるか … (via raurublock)

例えば前にも登場していただいたワンさん。 日本に来た当初、ビエラが欲しいと言うので秋葉原に連れて行きました。そして感激して「よし、買おう!!」となった。

でもワンさんは今、そこの目の前で移っている奴(つまり見本で飾ってあってみんながべたべたさわった指紋だらけの商品)じゃなきゃ、だめだ、と言って聞かない訳です。

いやいや、ワンさん、あとで新品のきれいなものがきちんとクロネコで送られてくるからその方がいいよ、といっても聞いてくれない。いま目の前できちんと移っているという確証のある商品を自分で持って帰るのだ、といって聞かない訳です。

なぜなら、中国ではまず電気店が粗悪品にすり替えて送ると言うリスク、そしてクロネコが粗悪品にすりかえるというリスクが存在する。それを避けずになぜ、こんな高額な商品が買えるのか、とおっしゃる訳です。百歩譲って、全てを家に持ってきてすえつけてきちんと移ってからじゃなきゃ、お金は払えない、とおっしゃる。

日本ブランド - 債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら  (via otsune)

日本社会では基本的にこの手の暗黙の信頼コストに意識する必要が無いというのは色々な全体コストに効いてきているんだろうな。

(via yoosee) (via gkojay) (via fujihajime) (via poochin) (via petapeta)

みんなには内緒だが、うちの会社は週休三日制を敷いている。

土日プラス平日にひとつ休みを取る。

この制度の主目的は、「社会的にエース級の戦力だけど、激務に潰されて心を壊してしまったひと」や、「一騎当千だが、結婚出産などで会社との折り合いにストレスを感じている人」の居場所を作れたらいいなという自分含めたラッセル怠惰への讃歌読書会メンバーで構成された経営陣によるものだ。

うちみたいなベンチャーは、そういうところを工夫しないと人材の囲い込み戦略で負けてしまうし。みたいなささやかな裏目的もある。こんな工夫だけで意外とやばい人材が集まる。

という話を、こっそり知り合いにすることがある。すると決まってこう言われる。

「週三日休みって生産性はどうなるのさ?」とか「平日休みと抜けられない打ち合わせが被ったらどうするの?」とかそういうものだ。

だいたいは、そこが問題なんですよねと軽く切り返した後に早くもストーブを出した話とか、ヒトカラで黙々と精密採点DXをやる楽しい休日の話にスライドするのだが、実は回答はある。

・週休三日と生産性の両立問題

通常二十営業日/月でこなす仕事を十六営業日でクリア出来ない人材はそもそも採用していないので、問題はない。ほとんどのメンバーは十営業日未満でクリアしている。

・打ち合わせや、電話対応と平日休みの被り問題

まず、自分しか仕事内容が分からない状態が発生した時点で、チームワークの著しい欠如と見做して評価が下がる方針がある。どんな職務内容でも、仕事のメールであれば自分以外の誰ひとりにも見られたくないメールなど有り得ない。

うちの会社に限らず、自分が急死しても仕事が止まらない体制を志向していない人材は論外だ。そこから派生して、関連性の薄いプロジェクトのCCメールを鬱陶しいと言ってしまう人材も方針上NGだ。彼らはチームワークの本質を理解していない。細やかな相互マネジメントで管理コストの削減は全メンバーの必須業務だ。

そういった方針に従えば、「休日取引先から個人携帯に連絡が来る」「打ち合わせに自分が行くしかない」状態がそもそも発生しないことになる。問題ではない。

週休三日の企業 (via fukunono22)
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